『故郷』

立秋を過ぎた頃ひとり故郷へ。
毎年家族を連れ車にて向かうのですが今回は家族の事情があり一人旅となりました。

お盆前なのにそこそこに混んでいる新幹線、在来線に乗り継ぎ故郷へ
駅前は綺麗になって昔の面影はなく街も賑やかだった記憶もやはり昔話
日本全国の地方都市と同じくシャッター通り、、よりも進んで空き地が点々とある寂れ方でありました。

その街からまた少し離れた故郷の町は、、、

十代の記憶では一面の田んぼが広がっていた景色もまったく変わっており
真新しいお家が立ち並んでおりました。

稲作農家では食っていけない、、
やはり後継者問題なのでしょう継ぐ者がいなければ家族の新たな家を建てるか、それでも余りある元田んぼの土地は売却をするのが当たり前なのでしょう。
しかし過疎が進み人口が減り続ける他の地方の町よりは人口が増え税収入がある点では良いのかもしれません。
税収入があれば各種行政サービスも拡充そして安定するのです。

そんなことを考えながらテクテクと歩く町は天気予報は最高気温36度と伝えてはおりましたが
立秋も過ぎたのにうだるようなこの酷暑の中、
体感温度は40度を超えており汗だくで徒歩にてあちらこちらへ移動をするのはかなり堪えました。

 

長兄と暮らすお袋様の顔をみて
また再びテクテクと歩き
墓の掃除をひとり炎天下の中やり遂げご先祖に挨拶し
その後、とうに時効ですので大丈夫かと思いますが
私は中学生の頃より叔父のレストランにて皿洗いのアルバイトをしておりましたが、
そのレストランもとうとう叔父叔母の年齢もあり閉店するとの連絡もあり
顔をだし近況の報告。

これで今回の目的は終了、、、
いや本当は旧街道(北國海道)を半里ほど歩いて見たい石碑が数か所ありましたが
この暑さでは命にかかわりますので今回は諦めました。
そのあたりのことはいずれまたの機会に。

さて、
帰路、駅舎を何気に見上げますと、、、

古レールを使った箇所がまだ残っておりました。
東京でもたまに見つけることが出来ますが
こんな忘れられたような場所に自分自身の昭和の面影も重ねて
帰京いたしました。

~おまけ~

帰り着いた東京も暑かった・・・

 

 

 

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『青い文字盤の時計』

その時計はもう誰もいない古い工場(こうば)の片隅にある
古びたデスクの上に古い伝票などと一緒に無造作に置かれておりました。

その姿は、、、

ベルトは途中で切れて一部は失われておりケース部分もガラスも傷だらけで工場作業でも着け続けたのが良くわかるありさま。
手に取って振ると秒針が動き出しまだまだ使ってくださいと言っているようでした。

・・・・

「青い文字盤の腕時計」

私は腕時計の文字盤はオーソドックスなシルバー系や黒系それ以外となれば緑系が好みなのですが、
なぜだか腕時計は青い文字盤というイメージがあるのです。
以前そのイメージはいったいいつ私の中に存在し始めたのだろうと考えたことがありました。

漠然とした記憶の中の青い文字盤は、、、
父親が腕につけていたものだと思い出したのです。

小学校へと上がる前の、、父親がとなりにいて、、何かの展示会、、

多分父親の工場で使用していた工作機械類の展示会の会場へ父親つれられて行ったときだ、
背の大きな大人達と父親がなにかを話をしていた、、、
そんな父親をしり目に暇を持て余した私は周りにある工作機械にふと近寄っていったのだった。
そして急に知らない大人から危ないから近寄ってはいけないと言われて

ビックリした。そして怖かった。

あわててそこにいるであろう父親の脚にしがみついた、、、
しかしその脚は父親のものではなかったのだ。

あっ、、

すぐに父親の脚ではないと思ったのですが固まってしまった私
その時すっと手を伸ばした父親の手の少し上にこの青い文字盤の腕時計があったのでした。

・・・・

古びた工場でみつけた傷だらけの青い文字盤の時計

カレンダーも日付も少し難もありますが磨いてベルトを替えて手元に置いておりました。

そしてこの青い文字盤の時計はこの日一日私の腕にあった。

その夜、、、

 

オヤジが逝った次の年はなー、、コロナなってよくわからん疫病が世の中で流行ってな
世界中がひっくり返るくらい大騒ぎになって沢山の人が死んで大変だったんだよ、、一時よりはマシになったけどな今もまだ右往左往してるんだぜ、
ひでぇー話だろ?オヤジはそんなものを経験しなくてよかったなー
などとひとり晩酌などしながら数年前に他界した父親のことを思い出しておりまそした、、
そんな二月某日でございます。

店主 拝

 

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『記憶』

私の仕事、、、イヤ、仕事といいますか、、癖といいますか、、
日々お買取りをご依頼いただき様々なものを手に取っておりますと
その一点一点の物たちからいろいろな声が聞こえてまいりまして、、、

声が聞こえる

などど申しますと
「あら、この方霊感でもあるのかしら?(笑)」
等想像していただいてしまうかもしれませんがそのようなことではなく
その物について深く調べたりしてしまうと結果的にそのものがいろいろと語りかけてくる気がするということでございます。

過日、古いお写真をお譲りいただき整理をしておりますと
一枚の写真が目につきました。

上野動物公園他遠足

上野動物園象

遠足の記念写真
このお写真類のお買取りをご依頼いただきました大祖母様が教育関係者であったとお聞きしておりましたので
このような遠足や卒園時の記念写真が多数ございました。
その中の一枚は多分上野動物園かと思われる場所で象さんを後ろに記念撮影をされたもの。
現代の保育園幼稚園ではこのような記念写真を撮ることはあまりないのでしょうか?
そもそも子供が少ない現代では記念撮影をしてもこのように大人数ではないのかもしれませんね。
因みに私の保育園時代の写真には母ではなく祖母が一緒に写っておりましたっけ・・・
さてさて、大正から昭和初期のお子様たちの楽しそうな顔を見ながら
あぁ楽しそうだなぁ、、などとその沢山の写真を手に取り見ていきますと少し大きな茶封筒に別にされた写真類がありました。
さて、次はどこへ行った記念写真かな?と封筒をあけて写真を取り出ししてみますと、、、

ああ、、、

そうか、そうだろうな、、、
と、ひとり呟いてしまいました。
その写真は、、、

帝国婦人会

戦中まで三宅坂にありました陸軍省前や靖国神社前?での記念写真
大日本国防婦人会のタスキをかけた割烹着姿の女性たちの集合写真

戦争という時代の流れが一気に茶色い封筒の中より出てきたようでした。

楽しい子供たちの遠足写真から一転して、、、

この写真が撮られたあと東京が空襲をうけ焼け野原になるまでに
沢山の時間を要することはありませんでした。
割烹着にタスキ掛けの婦人達も戦況が悪化する中、割烹着からモンペ姿になっていき
そして、
ここに写る子供らは疎開ができたとしても子供らの父や母や兄弟は、、、

教育関係者であったというこの写真の持ち主様
すでに他界されており、そのお心うちをお聞きすることはかないませんが
他の子供らの遠足の写真や卒園時?の写真は何度も見た形跡がありましたが
この戦時下で撮られた写真だけはあまり封筒から出した形跡はないようにみえ
意図的に開けなかったと思われます。
やはり思い出したくはない記憶であったのでしょうか。
教育関係者であったのであればなおさらだったのかもしれません。

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上野動物園の象さん
歴史を紐解けば
明治21年 シャム皇帝より贈られたアジアゾウのペア初来園
大正14年 アジアゾウの子供「ジョン」「トンキー」来園
昭和10年 タイ国少年団より雌アジアゾウ「花子」が到着
とありました。(※出典:上野動物公園の歴史 https://www.tokyo-zoo.net/zoo/ueno/history.html)

記念写真に子供らと一緒に写っているのがどの象さんだったかまでは調べることが出来ませんでしたが
上野動物園に居た象さん含め沢山の動物たちは
戦時猛獣処分(空襲で檻が破壊され猛獣が脱走することで起こりえる事故を防ぐ為)により昭和18年8月より殺処分が行われました。
上野動物園を皮切りに全国の動物園、サーカス等に居た動物たちが殺処分されました。

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沢山の写真を手に取り考えても考えても
様々なイメージは浮かんでくるもの戦争など二度と繰り返してはいけないと思いつつも、
しかし、この世界から争いが無くなることはないのだろうなとも思うのです。
右、左に傾きすぎた人たちが対局の排除を考える。
排除は暴力を生みます必ず、、、
結局は私にできることは戦争はしてはならないと思い願い続けることだけなのかもしれません。

今世界で起こっている紛争や戦争が一日でも早く終わることを心から祈り筆を置くことにいたします。

令和四年八月 店主 拝

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『約束』

この場所の更新がなかなかできないままに月日は流れ
気が付けば暦は6月になり
こちら東京は梅雨入りをした模様との発表があった今日この頃です。

このような場所を見てくれている人はいないかもしれませんが、
久しぶりの更新でございます。
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