3月11日、あれから10年
私はあの時山梨県で被災いたしました。
電信柱が尋常じゃない揺れ方をし停車してあった車は前後左右に今にも飛びだす勢いで動き
立っていることさえままならず
その場にしゃがみこんで
地震なのはわかっているがこの揺れはなんだ!
と恐れおののいておりました。
そのあと数回の揺れの後
東京の家族へ携帯電話から電話するもつながらず
不安はつのりました、、、、
ほどなく、近くにいた方が車載TVをつけていたので
一緒に観てみたら、、、
津波が襲うまさにその瞬間をみたのでした、、、
あまりの衝撃に、車に飛び乗り
一路東京を目指しましたが高速道路は大月あたりで通行止めになった様子で
高速道路上の渋滞の中に、、、
山の中なのでラジオの感度も今ひとつ
入ってくる情報は少ない、、、
緊急車両が東京方面へと渋滞をすり抜けていく、、、
一体何が起こっているのか、、、
不安で押しつぶされそうになりながら
約7時間後自宅へ何とか戻ることが出来家族の無事が確認できた時の安堵感は今も思い出します。
ですが、
自宅のTVをつけますと、、、
あまりの惨状に言葉を失い
ただただ涙があふれ、、、、
そして10年、
現在私は東北へ仕事で参ることがございます、
常磐道を走りますとまだ帰宅困難地域が広がっていることがわかります。
津波が襲ったであろう湾岸地域も数年前に比べますと
新しい家が建っていることも確認できます。
しかしながら、完全な復興という訳にはまだまだ及ばない現状も、、、
それでも地元の皆様の気が遠くなるような努力にて
少しずつ変わってきていることは感じ取れます。
私にできることは
できる限り福島や宮城、岩手といった場所へ行き地の物を食べたり飲んだりすること。
そしてその時々の現状を目にして帰ってくること。
こんなことしかできない力のない私ですが
私にできることを今も普通の日常のありがたさをかみしめながら探し続けております。
令和3年3月11日 店主拝