こけし約60本
神奈川県相模原市のお客様よりご売却いただきました。
数あるこけし買取店より弊店をお選びいただき
誠にありがとうございました。
こけし約60本
神奈川県相模原市のお客様よりご売却いただきました。
数あるこけし買取店より弊店をお選びいただき
誠にありがとうございました。
こけし約90本
東京都江東区のお客様よりご売却いただきました。
昭和50年前後に東北各地をご旅行したおり
沢山の工人さんを訪ねてご購入されたものとの事
数あるこけし買取店より弊店をお選びいただき
誠にありがとうございました。
必ず次の世代へ橋渡しをしてまいりますので
ご安心ください。
店主
沢山の切手を東京都国分寺市のお客様よりご売却いただきました。
昔収集なされた切手コレクション
喜んで誠意査定後買取をさせていただきます。
昭和40~60年代頃こけし約500本を東京都国分寺のお客様よりご売却いただきました。
こけし約500本 昭和40~60年代にかけてのものでございました。
鳴子 土湯 木地山 津軽 作並 蔵王・・・こけしの産地のほとんどがございました。
2尺ほどの大きなものから5~6cmの小寸のものまで沢山です。
神奈川県横浜市保土ヶ谷区にて古道具骨董の出張買取で他の沢山のお品と共にご売却をいただきました。
盛秀太郎
津軽系
師匠、盛元吉
明治28年生まれ
昭和61年90歳にて逝去
大正時代(5年頃か?)からこけしを制作し始める。
この初期の顔は鯨目でどこか滑稽に映るという意見と
厳しい顔だとする意見が二通り存在致します。
昭和に入り一重瞼の表情と頭部が少し大きくなり
戦後に入るとさらにその表情はやさしいものへと変化し
昭和30年代の終わり頃から40年代の初め頃より
この写真のような達磨絵を描き始めた。