【出張買取】東京都葛飾区にて井口悟 創作こけしをお買取りいたしました

井口悟

昭和23年渋川市生れ 昭和46年関口三作に師事以降創作こけしの制作を開始。主な受賞歴 昭和52年 全国近代こけし展にて新人賞受賞 昭和58年 全国近代こけし展にて「渡月の秋」で文部大臣奨励賞受賞 全日本こけしコンクールにて「神無月」で農林水産大臣賞受賞 昭和61年 全群馬近代こけしコンクールにて「祈り」で内閣総理大臣賞受賞 他受賞多数 群馬県渋川市在住

現在は創作こけしという名称が定着しているようではございますが 当初は「近代こけし」という名称でございました。「近代こけし」という名が日本国内で知られるようになったのは昭和28年にJFA(日本農村工芸作家協会)により「第一回全国風変りこけしコンクール展」からはじまります。この展覧会が盛況で幕となり翌年昭和29年名称を新たに「全国こけし人形コンクール」と改めスタートを切ります。

さて、このままこの場所に書いてまいりますとそこそこの長文となりますしJFAのこと、他の近代こけしのことは「店主の独り言」にて書いてみようと思っております。創作こけし(近代こけし)のご売却際は一度キタロウ商店へお声がけください。

 

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【出張買取】東京都世田谷区にて「Leica M3」をお買取りいたしました

Leica M3

1954年(昭和29年)4月 全世界の正規代理店より一斉販売開始。
当時の日本価格は23万円でございました。この頃の大卒初任給が5000円ほどですので高根の花を通り越したカメラでありました。
後、様々な仕様変更のがあり1966年生産を終了しました。
生産台数が200万台を超えておりM3の全体を通しての話ではございますが比較的中古市場に出ることが多いカメラとなります。
大まかに分けて前期中期後期と3タイプに分かれ昔からの愛用者の方々は初期型(ダブルストロークのもの※2回巻き上げ式)が人気です。
買取査定ではこの3期に加え外観、内部機構の状態(オイル切れ症状による鳴き等含め)、付属品の有無 元箱がございます場合はカメラ本体にあるシリアルナンバーと箱にある番号が一致しているか?等も確認いたします。状態が悪い場合は外注修理代が高額のため査定価格が低くなることもございます。

ライカM3を含めカメラのご処分をお考えの際は是非一度ご連絡をいただけますと幸いでございます。

 

 

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【出張買取】東京都葛飾区にて 吉田多加志 創作こけしをお買取りいたしました

吉田多加志

昭和23年6月群馬県桐生市に生まれる

群馬県立桐生工業高校にてデザイン、色彩を学ぶ

卒業後数年の会社勤めの後

昭和53年に30歳で小林伊之介に師事し創作こけしの制作を始める

以降多数の賞を受賞

昭和57年全国近代こけし展文部大臣奨励賞

昭和58年全日本こけしコンクール農林水産大臣賞

昭和59年全日本こけしコンクール運輸大臣賞

昭和60年全日本こけしコンクール林野庁長官賞

昭和61年全群馬近代こけしコンクール内閣総理大臣賞

昭和63年全群馬近代こけしコンクール内閣総理大臣賞

平成元年全群馬近代こけしコンクール通商産業大臣賞

平成2年全群馬近代こけしコンクール農林水産大臣賞

平成3年全群馬近代こけしコンクール内閣総理大臣賞

平成8年全群馬近代こけしコンクール内閣総理大臣賞

平成13年全群馬近代こけしコンクール経済産業大臣賞

平成17年全群馬近代こけしコンクール内閣総理大臣賞

平成17年全群馬近代こけしコンクール中小企業庁長官賞

平成19年逝去

 

 

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【出張買取】埼玉県川越市にて「本榧板目将棋盤」等を出張にてご売却いただきました。

本榧板目木表将棋盤

ご依頼品は将棋盤の最高級材本榧の板目木表盤でございました。
本榧材将棋盤は板目よりも柾目のほうが付加価値が高い傾向ではございます、
木取の関係で樹齢が経ち太く大きな材が必要となるのがその理由でございます。
価値あるものとされるのはその順に高いものから柾目の天地柾、天柾、板目の板目木裏、板目木表となります。
しかしながらそもそも希少材でもある本榧ですので板目でございましても価値ある将棋盤となります。
なお将棋盤には他の材料に国産材では北海道産の桂、海外産では北米産の檜科の檜葉、同じく北米産檜科の新榧、東南アジア材の安価なアガチス、日本では新桂と呼ぶ方もいらっしゃいます。
盤厚もその価格に関係してまいります足付盤は4寸(40号)、5寸(50号)、6寸(60号)、7寸(70号)、8寸(80号)とございます。材料、厚みにて高価となります。

キタロウ商店では将棋関係品、囲碁関係品の出張買取いたします、是非一度お声がけください。

 

本榧板目将棋盤

 

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【出張買取】東京都杉並区にて高野与八のこけし他骨董品から古道具類まで幅広くご売却いただきました。

高野与八

明治40年新潟県西頚城郡能生町生まれ
戦前東京へ出て先に上京していた兄と暮らし日本画や染色工芸(友禅染め)などを修業し
戦後秋田県稲庭川連町で川連塗や川連こけしに惹かれ傾倒したその後、若い頃に学んだ友禅技術や日本画の技法をを取り入れ本格的に こけし(与八人形)の製作を始めます。
昭和55年 秋田県文化功労表彰を受章
平成6年埼玉県旧浦和市にて逝去

高野与八作の物は初期作と後期の作にはかなりの違いがあるところも興味深い面白き点でございます。
木地は同じ川連久保の高橋雄司工人が挽いたものであったようです、なお高橋雄司工人は伝統こけしもご自身でお作りになっております。
与八氏のこけしが伝統こけしであるのか創作、近代こけしであるのかと尋ねられることがございますが
与八氏のこけしはいわゆる伝統、創作こけしとは別の次元にあると思っておりますし個人的には与八氏も生前に「こけしではない」との言葉を残しておりますので与八こけしというよりも与八人形とするのが良いのかもしれないと思っております。

与八人形

#高野与八 #与八人形 #与八作こけし