舟越保武 「ローラ」 東京都日野市にて買取

舟越保武
「ローラ」
ブロンズ像

舟越保武 (ふなこし やすたけ)
[1912-2002]

大正元年(1912) 現在の岩手県二戸郡一戸町に生まれる。
県立盛岡中学校(現岩手県立盛岡第一高等学校)在学中
高村光太郎訳の「ロダンの言葉」に感銘を受け彫刻家を志す。
大正14年(1925)新制作派協会彫刻部創立に参加。
昭和9年(1934) 東京美術学校彫刻科塑造部(後の東京藝術大学)に入学。
昭和14年(1939) 同校を卒業。
昭和25年(1950)長男が生まれて間もなく急死したのを機に洗礼を受けて
カトリック に帰依
この頃よりキリスト教信仰やキリシタンの受難を題材とした制作が増える。
昭和37年(1962) 「長崎26殉教者記念像」にて第5回高村光太郎賞を受賞。
昭和42年(1967) 東京芸術大学教授となる。
昭和43年(1968) 田沢湖に「たつこ像」制作。
昭和44年(1969) 「ダミアン神父(病醜のダミアン)」を制作。
昭和47年(1972) 「原の城」にて中原悌二郎賞を受賞。
昭和48年(1973) 「原の城」にてパウロ6世 (ローマ教皇)より
「大聖グレゴリオ騎士団長」の勲章が授与される。
昭和52年(1977) 「道東の四季ー春ー」にて長谷川仁記念賞を受賞。
昭和53年(1978) 芸術選奨文部大臣賞を受賞。
昭和55年(1980) 東京芸術大学を定年退官。
昭和56年(1981) 多摩美術大学教授となる。
昭和58年(1983) 同大退官。
同年エッセイ『巨岩と花びら』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
昭和59年(1984) 勲四等旭日小綬章を受章。
昭和61年(1986) 東京芸術大学名誉教授となる。
昭和62年(1987) 脳梗塞に倒れるが退院後、すぐにリハビリし左手でデッサンと彫刻を始める。
平成11年、 文化功労者に選ばれる。
平成14年(2002) 2月5日、多臓器不全のため逝去。89歳。

舟越保武 「ローラ」

刑部人 油彩

東京都三鷹市にて出張買取いたしました。

刑部 人 明治39年(1906年)~昭和53年(1978年)

1906年 5月5日、栃木県下都賀郡家中村大字家中に生まれる
1915年 9歳頃から、川端龍子、鶴田吾郎の主幹するスケッチクラブの通信講座を受ける
1918年 父の東京転任にともない12歳で上京。この頃から、大森・新井宿に川端龍子を訪ねるようになる
1922年 16歳頃から、日本画家の川端玉章が設立し、藤島武二などが主任を務めた本郷の川端画学校に通う
1924年 東京美術学校西洋画科(現在の東京藝術大学美術学部油絵科)に入学
1928年 第9回帝展に「友人の肖像」が初入選
1931年 美校の1年後輩だった島津一郎の妹、鈴子と結婚

東京都豊多摩郡落合町大字下落合(現在の新宿区中井)にアトリエを構える
(国会議事堂などを手掛けた建築家 吉武東里設計)

1940年 芝浦の東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)助教授となる
1943年 新文展無鑑査となる
1946年 第1回日展(日本美術展覧会)に「冬の軽井沢」を出品し、特選。
金山平三と山形県大石田への写生旅行に同行
1948年 第4回日展に「渓流」を出品し、特選
1951年 日本橋三越にて第1回個展を開催。以後、計27回開催
1958年 新世紀美術協会に参加、第3回新世紀美術展に「渓流(奥入瀬)」を出品
1967年 日展審査員に
1976年 70歳を記念し、日動画廊で「刑部人記念展」(銀座・名古屋)を開催、『刑部人画集』(日動出版部)を刊行
1978年 腎不全のため死去。享年71。勲4等瑞宝章を受ける

刑部人 油彩

篠原有司男 リトグラフ

埼玉県さいたま市にて出張買取いたしました。

「篠原有司男」

現代美術家

昭和7年(1932年)1月17日 東京麹町生まれ
昭和27年(1952年)東京芸術大学美術学部油絵科に入学
林武に師事
昭和32年(1957年)同校を中退
昭和33年(1958年)村松画廊で初個展を開催
昭和35年(1960年)「読売アンデパンダン展」で活躍していた吉村益信、
赤瀬川原平、荒川修作らとともに「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成

ギューちゃんこと篠原有司男のリトグラフ

パワーの塊のような作風で熱狂的ファンも多い。

篠原有司男 リトグラフ

篠原有司男 リトグラフ