『日本楽器會社 スタッキングシェルフ(本棚)』
日本楽器會社製のスタッキング型の本棚となります。
明治から戦前期の家具類・火鉢・柱時計・黒電話機・鉄瓶や漆器類など
『日本楽器會社 スタッキングシェルフ(本棚)』
日本楽器會社製のスタッキング型の本棚となります。
『明治期から大正期のガラス器』
藤沢市のお客様のご依頼をいただき明治期から大正期のガラス器や染付、印判手の器各種、古裂など数十年にわたる蒐集品をお買取りいたしました。
この度はご依頼をいただき誠にありがとうございました。
『紫檀家具唐木家具』
埼玉県さいたま市にて骨董品から現代の工芸作家作品まで幅広くお買取りをさせていただきました。
今回ご紹介するのは紫檀製家具でございます。
紫檀製といいましても紫檀風に材料を染めて作られた物もございますが今回のご依頼品は一部分を除き完全な紫檀製でございました。
作りこみを見る限りは中国もしくは台湾で作られたものかと推測いたします。
なお日本国内でも紫檀等唐木を使った家具小物制作産地がございます。
大阪と東京の葛飾区あたりが有名なところとなります。
いずれの産地の製作者も癖の強い唐木を長い年月をかけて癖を読み取りながら
釘などは使わず作られております。
さて、実際の査定の基準となりますが、
中国または台湾から輸入されたものに関しましては使用している材料が唐木以外の着色材ですとお買取りは難しい場合もございます。
お買取りが出来る目安といたしましては輸入された時代が戦前期(1940年代以前)に大陸より日本国内へ入ってきたものとなります。
この時期の物に関しては紫檀や黒檀、花梨、黄花梨などを使用したものが通常で、唐木以外を使い場所は見えない場所等にわずかに使用する程度です。
またこの時期に日本へ渡ってきた海南黄花梨を使った家具類は
現在では黄花梨が絶滅したとされており大変貴重な物となり中国の裕福層が求めており査定価格は高い傾向です。
日本国内の紫檀製家具や唐木家具の場合は
上記の中国の裕福層はあまり関係はないのですが日本の職人が製作したものですので上記の中国の物よりは査定は下がりますがお買取り可能となります。
ただし現代の住宅環境の変化もあり大きな棚や座卓よりも
近年では小さめの棚や小引き出しといった物の方がお買取り対応が出来る場合が多いと感じます。
古い家屋のご処分時にそういえば和室の奥に、、、
思い出したその時はどうぞ弊店へご連絡ください。
他にも拝見させていただき思いもよらなかった物に高額査定が出るかもしれません。
お買取りのご依頼はこちらから
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『木枠店舗什器(昭和30年代)のお買取り』
木枠の店舗什器を多数お譲りいただきました。当初ご依頼主様は他店様へのご相談をされましたが、ご依頼品は当方ではなかなか難しいがキタロウ商店というところならと、なぜか弊店をご紹介いただいた様子。(笑)
確かに弊店は古美術品骨董品から古道具類まで幅広くお買取りいたしておりますので早急に対応をさせていただきました。
お電話では状態が悪く本当に大丈夫でしょうか?とご心配されておりましたが現地にて拝見させていただきガラスの割れた物もかなりございましたがほぼすべての什器、ガラス菓子瓶等、お買取りをさせていただきました。
現在の店舗什器にはない木枠の温かみ、そして昭和感あふれる佇まいを探されておられる方、これでなくてはとこだわりある方も沢山いらっしゃいます。
今回お譲りいただきました什器たちはすでにそんな方々の元で新しい時をすごしております。
実家にそのまままだあるな、、、
そんな時は是非一度キタロウ商店へご相談ください。
古き物に新しい活躍の場所を。
↓ご実家の整理にて、こんな物はどうかしら?そんなお困りごとは一度ご連絡を↓
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『明治期国産燐寸(マッチ)燐票(ラベル、レッテル)』
新宿区のお客様より明治期の国産燐寸燐票の貼りこみ帳を数冊お譲りいただきました。
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ここで簡単に国産燐寸の歴史についてご紹介してまいります。
国産燐寸の歴史は江戸時代天保年間に国産に成功したとの史実があるようでございます。その後明治期初期に岩手県盛岡藩にて士族授産施策のマッチ製造所「葆光社(ほうこうしゃ)」が設立され我が国初の燐寸工場が作られました。明治期中頃となり全国的に燐寸工場ができ始め 明治30年代頃よりそれまでは輸入品であった外国製燐寸にかわり安定生産も可能となった日本製燐寸が日本から清国(現、中国)やインドはじめ東南アジアへ輸出が始まります。当時の生産量(年間生産量数十億個)のなんと八割が輸出されていたとのことですからその凄さがわかります。
さて、今回の燐票(ラベル、レッテル)ですが明治期30年代頃より広告入り燐票(ラベル、レッテル)が生産され始めるのですが、今回のご依頼品もその頃より大正期初期の物とも思われます。
またこの頃にすでに燐票(ラベル、レッテル)蒐集家が存在しております。
今回のご依頼品は神戸にあった会社のラベルを中心に蒐集されておりまして個人で蒐集されたものではなく その会社より蒐集家向けにこの状態で流通されたものかもしれません。そのあたりのことを蒐集されたご本人に聞ければそれに越したことはないのですが残念ながらすでに数十年前に他界されておりかないませんでした。
いずれにせよ、そのデザインにグっときてしまう店主でございました。
30年近く前まではたまにですが市場にて見かけたのですが最近はあまり見かけなくなりましたね、、、
今回の燐票は貼りこんでしまってますが状態は良いものでした。
弊店へお譲りいただきましたお客様に心より感謝いたします。
画像の転載をお断りいたします。
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