『神保豊』
大正十二年東京生まれ
高橋丈雲に師事
文部大臣賞他多数受章
三越本店等で個展
代表作 成田新勝寺明王像
子の神保雅・琢磨も彫刻家


伝統こけし・御所人形・嵯峨人形・市松人形・三折人形・作家物など
『神保豊』
大正十二年東京生まれ
高橋丈雲に師事
文部大臣賞他多数受章
三越本店等で個展
代表作 成田新勝寺明王像
子の神保雅・琢磨も彫刻家

『盛秀太郎 戦前期作』
盛秀太郎工人作のこけしでございます。
ご依頼品はそのお顔から戦前期の物と思われます。
盛秀太郎工人につきましてはネット上に沢山の情報がございますのでお好きな方は検索等でお調べになる方がよろしいかと思います。
店主があれやこれやと勉強した時代は昭和40年代の古書数冊しかない状態でございましたので苦労したことが思い出されます。
そんなことを思いますとインターネットに接続できる環境があれば沢山の情報が手に入る現代はなんて素晴らしいことか、と思うのでございます。

お買取りのご依頼はこちらから
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店主がTwitterにてつぶやいております。たまにですが、、
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井口悟
昭和23年渋川市生れ 昭和46年関口三作に師事以降創作こけしの制作を開始。主な受賞歴 昭和52年 全国近代こけし展にて新人賞受賞 昭和58年 全国近代こけし展にて「渡月の秋」で文部大臣奨励賞受賞 全日本こけしコンクールにて「神無月」で農林水産大臣賞受賞 昭和61年 全群馬近代こけしコンクールにて「祈り」で内閣総理大臣賞受賞 他受賞多数 群馬県渋川市在住
現在は創作こけしという名称が定着しているようではございますが 当初は「近代こけし」という名称でございました。「近代こけし」という名が日本国内で知られるようになったのは昭和28年にJFA(日本農村工芸作家協会)により「第一回全国風変りこけしコンクール展」からはじまります。この展覧会が盛況で幕となり翌年昭和29年名称を新たに「全国こけし人形コンクール」と改めスタートを切ります。
さて、このままこの場所に書いてまいりますとそこそこの長文となりますしJFAのこと、他の近代こけしのことは「店主の独り言」にて書いてみようと思っております。創作こけし(近代こけし)のご売却際は一度キタロウ商店へお声がけください。
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吉田多加志
昭和23年6月群馬県桐生市に生まれる
群馬県立桐生工業高校にてデザイン、色彩を学ぶ
卒業後数年の会社勤めの後
昭和53年に30歳で小林伊之介に師事し創作こけしの制作を始める
以降多数の賞を受賞
昭和57年全国近代こけし展文部大臣奨励賞
昭和58年全日本こけしコンクール農林水産大臣賞
昭和59年全日本こけしコンクール運輸大臣賞
昭和60年全日本こけしコンクール林野庁長官賞
昭和61年全群馬近代こけしコンクール内閣総理大臣賞
昭和63年全群馬近代こけしコンクール内閣総理大臣賞
平成元年全群馬近代こけしコンクール通商産業大臣賞
平成2年全群馬近代こけしコンクール農林水産大臣賞
平成3年全群馬近代こけしコンクール内閣総理大臣賞
平成8年全群馬近代こけしコンクール内閣総理大臣賞
平成13年全群馬近代こけしコンクール経済産業大臣賞
平成17年全群馬近代こけしコンクール内閣総理大臣賞
平成17年全群馬近代こけしコンクール中小企業庁長官賞
平成19年逝去
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高野与八
明治40年新潟県西頚城郡能生町生まれ
戦前東京へ出て先に上京していた兄と暮らし日本画や染色工芸(友禅染め)などを修業し
戦後秋田県稲庭川連町で川連塗や川連こけしに惹かれ傾倒したその後、若い頃に学んだ友禅技術や日本画の技法をを取り入れ本格的に こけし(与八人形)の製作を始めます。
昭和55年 秋田県文化功労表彰を受章
平成6年埼玉県旧浦和市にて逝去
高野与八作の物は初期作と後期の作にはかなりの違いがあるところも興味深い面白き点でございます。
木地は同じ川連久保の高橋雄司工人が挽いたものであったようです、なお高橋雄司工人は伝統こけしもご自身でお作りになっております。
与八氏のこけしが伝統こけしであるのか創作、近代こけしであるのかと尋ねられることがございますが
与八氏のこけしはいわゆる伝統、創作こけしとは別の次元にあると思っておりますし個人的には与八氏も生前に「こけしではない」との言葉を残しておりますので与八こけしというよりも与八人形とするのが良いのかもしれないと思っております。

#高野与八 #与八人形 #与八作こけし