『唐物銅鍍金仏像』
お客様のお話では旧満州国でご商売をされていた御祖父様が我が国へ持ち帰ったとのこと、桐箱は日本国内にて戦前頃に作られたものと推測いたします。
肝心のご依頼品の制作年代は清朝頃の物と思われます。
評価基準といたしましては形、表面の鍍金の残り方でかなり差が出てまいります。
姿形が似たもので木彫の物もございます、その場合は表面の漆部分が下地として見えるかと思います。
このような仏像がどこかにあるという場合は是非一度ご連絡くださいませ。


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『三面大黒天』
大黒天は密教と共に我が国へ伝来したといわれております。
本来はヒンドゥー教のシヴァ神でございます。
ご依頼品は三面大黒天 制作年代ははっきりとはわかりませんが江戸期の物と推測いたします。
大黒天の長い歴史の中で初期のころは台所の守護として祀られたこともございます。最澄が開いた天台宗延暦寺台所にも今回のご依頼品とは様子が違いますが三面の大黒天あったとのこと、今回のご依頼品もかなり煤が堆積しておりもしかするとそのようなこともあったのではないかと推測いたします。


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小曽根 乾堂 (こぞね けんどう)
文政11年5月2日(1828年6月13日) – 明治18年(1885年)11月27日
幼名を六郎太、六朗。諱を豊明、字を守辱、乾堂は号で室号を鎮鼎山房・浪平釣叟とした。
通称は栄。長崎の人。
江戸時代末期から明治時代の日本の事業家・書家・文人画家・篆刻家
明治政府の勅命により御璽・国璽を刻した。
坂本龍馬の理解者として知られる。

龍紋金糸刺繍
丁寧な手仕事によるものです。
正確な製作年代は不明ですが1900年代のものと思われます。
