銀湯沸 九世 中川淨益

東京都調布市にて出張買取いたしました。

銀湯沸 九世 中川淨益作

九世 中川淨益(益之助・紹芳、 嘉永 2年 1849年 -~明治44年 1911年)

八代の息子 茶道衰退期に家督を相続
父方の縁により三井家などから援助を受けるが、家業の建て直しがうまくいかず、
逆境の中 アルコール中毒障害となる。
職人としての腕は一流であったが 明治期という文明開化に象徴する伝統工芸に不遇の時代だったため
世間からは認められなかった。
60代前半という若さで不遇のまま没。

銀湯沸 九世 中川淨益

FENDER MUSTANG 78年

FENDER MUSTANG 78年

今でも根強い人気のムスタング
20数年前は本国アメリカでも比較的安価で中古が手に入りましたが、近年、ストラトの50~60年代物が枯渇して、当時は低評価だった70年代のものが高騰。
その流れでムスタング等当時低評価ものも高騰しております。

エレキギター 生ギター エフェクターやアンプ 録音機材にいたるまで、他店では査定担当者がいないケースが多いジャンルですが、キタロウ商店では専任の担当者を置いております。

FENDER MUSTANG 78年
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刑部人 油彩

東京都三鷹市にて出張買取いたしました。

刑部 人 明治39年(1906年)~昭和53年(1978年)

1906年 5月5日、栃木県下都賀郡家中村大字家中に生まれる
1915年 9歳頃から、川端龍子、鶴田吾郎の主幹するスケッチクラブの通信講座を受ける
1918年 父の東京転任にともない12歳で上京。この頃から、大森・新井宿に川端龍子を訪ねるようになる
1922年 16歳頃から、日本画家の川端玉章が設立し、藤島武二などが主任を務めた本郷の川端画学校に通う
1924年 東京美術学校西洋画科(現在の東京藝術大学美術学部油絵科)に入学
1928年 第9回帝展に「友人の肖像」が初入選
1931年 美校の1年後輩だった島津一郎の妹、鈴子と結婚

東京都豊多摩郡落合町大字下落合(現在の新宿区中井)にアトリエを構える
(国会議事堂などを手掛けた建築家 吉武東里設計)

1940年 芝浦の東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)助教授となる
1943年 新文展無鑑査となる
1946年 第1回日展(日本美術展覧会)に「冬の軽井沢」を出品し、特選。
金山平三と山形県大石田への写生旅行に同行
1948年 第4回日展に「渓流」を出品し、特選
1951年 日本橋三越にて第1回個展を開催。以後、計27回開催
1958年 新世紀美術協会に参加、第3回新世紀美術展に「渓流(奥入瀬)」を出品
1967年 日展審査員に
1976年 70歳を記念し、日動画廊で「刑部人記念展」(銀座・名古屋)を開催、『刑部人画集』(日動出版部)を刊行
1978年 腎不全のため死去。享年71。勲4等瑞宝章を受ける

刑部人 油彩

温海こけし 阿部常吉 工人

埼玉県さいたま市南区の収集家のお客様宅にて出張買取をいたしました。

温海こけし 阿部常吉 工人 明治37年(1904)~平成3年(1991)

蔵王系こけしの中でも異質ともとれる風貌のこけしを作られた常吉さん。お父様の常松さんがこの流れを作ったのですが、元々は福島の土湯系の方でしたが山形へ移り住み、このようななんともいえない味のあるこけしを制作しはじめたのでした。
現在は常吉さんの息子さんである進矢さんがその流れを引き継いで制作されております。

店主も大好きな「温海こけし」是非お譲りください。

温海こけし 阿部常吉 工人