酒井田 柿右衛門 十二代
東京都三鷹市にて骨董古道具の出張買取致しました。
ご依頼をいただきまことにありがとうございました。
古道具屋キタロウ商店で買取いたしました様々な物の実績をご紹介します。
酒井田 柿右衛門 十二代
東京都三鷹市にて骨董古道具の出張買取致しました。
ご依頼をいただきまことにありがとうございました。
今泉今右衛門 各種
東京都三鷹市にて骨董古道具の出張買取致しました。
ご依頼をいただきまことにありがとうございました。
東京都府中市にて茶道具、掛軸とともに出張買取致しました。
大銀湯沸 山崎亀吉商店謹製 明治末期~大正期
山崎亀吉商店
銀座の貴金属商「GINZA TANAKA(田中貴金属)」、「シチズン」の前進会社
詳しくは GINZA TANAKA様 サイト → http://www.ginzatanaka.co.jp/corporate/history.html
をご覧ください。
東京都杉並区にて茶道具の出張買取致しました。
浜田庄司(濱田 庄司) 掛分茶碗
1894年(明治27年)12月9日 – 1978年(昭和53年)
年譜
1894年(明治27年)12月9日神奈川県橘樹郡高津村(現在の川崎市)溝ノ口
で生まれる。
1913年(大正2年)東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科に入学、
板谷波山に師事し窯業の基礎科学面を学ぶ。
1916年(大正5年)同学校を卒業後2年先輩の河井寛次郎と共に
京都市立陶芸試験場にて主に釉薬の研究を行う。
またこの頃柳宗悦、富本憲吉やバーナード・リーチの知遇を得る。
1920年(大正9年)、イギリスに帰国するリーチに同行、
共同してコーンウォール州セント・アイヴスに築窯する。
1923年(大正12年)ロンドンで個展を開催
1924年(大正13年)英国より帰国。この後沖縄・壺屋窯などで学ぶ。
1930年(昭和5年)栃木県益子町で作陶を開始する。
1955年(昭和30年)第1回重要無形文化財「民芸陶器」保持者(人間国宝)に認定。
1964年(昭和39年)紫綬褒章を受章する。
1968年(昭和43年)文化勲章を受章する。
1961年(昭和36年)柳宗悦没後の日本民藝館の第二代館長に就任する。1977年(昭和52年)蒐集した日本国内外の民芸品を展示する益子参考館を開館。
1978年(昭和53年)益子にて没。享年83。
東京都福生市事務所にてお持込み買取致しました。
鈴木政吉 ラコートタイプギター 大正期~戦前期
日本製アコースティックギターの父 鈴木政吉
近年 日本製アコースティックギターをはじめバイオリン等各種弦楽器の研究が
有志によって細々とではございますが進んでおります。
個人的ではございますが近代日本の音楽の歴史に直結する極めて貴重な遺産だと思われます。
まだまだ国内には同時代の政吉作のギターが眠っているはずでございます。
もし蔵や納屋、倉庫等に忘れ去られたように古いギターが発見されましたら
どうぞご連絡くださいませ。
鈴木政吉 年譜
1859年(安政六年) – 現在の名古屋市東区宮出町 尾張藩の下級武士 父正春の次男に生まれる。
1870年 – 尾張藩の太鼓役となるも半年で失職。藩の洋学校に入学。
1872年 – 洋学校を退学。
1873年 – 江戸で丁稚奉公。
1875年 – 奉公先の主人が亡くなり帰郷。家業(三味線製作)に従事。
1884年 – 父・正春が死亡。
1887年 – 小学校の唱歌教師を志し、習いに通う。
同門の和製バイオリンを見て一晩借用し、作り始める。近藤之婦と結婚。
1888年 – 第1号完成。ぼつぼつ注文がくるも、舶来と比較して、雲泥の差があり、ショックを受ける。
1889年 – 楽器をもって上京。東京音楽学校でディトリッヒに試弾してもらい、好評を得る。
銀座の商社と取引開始。長男梅雄誕生。
1890年 – 作業場を拡大する。第3回内国勧業博覧会でヴァイオリン最高位の3等有功賞を得る。
1893年 – アメリカのシカゴ・コロンブス万国博覧会で褒章受章。
1895年 – 第4回内国勧業博覧会で進歩3等賞授賞。
1900年 – パリ万国博覧会で褒章受章。バイオリンの渦巻きの部分を作る機械を発明する。
1903年 – 第5回内国勧業博覧会で2等賞授賞。
1905年 – 工場新設。
1906年 – マンドリンを作り始める。
1907年 – ギターを作り始める。名古屋市議会議員。
1910年 – ロンドンで開かれた日英博覧会にバイオリンを出品。名誉大賞を受賞。
1911年 – 関西府県連合共進会で、ヴィオラ、チェロ、マンドリン、コントラバスで授賞。
1913年 – 勅使御差遣の栄。ギターの製作開始。
1915年 – 東京大正博覧会で金牌授賞。パナマ太平洋国際博覧会(サンフランシスコ)で金賞受賞。
1917年 – 緑綬褒章を受ける。
1922年 – 平和祈念東京博覧会で名誉賞受賞。
1923年 – 名バイオリニスト、クライスラー名古屋に来る。
1925年 – 紺綬褒章を受章。
1926年 – 米国独立150年万国博覧会(フィラデルフィア)で金牌授賞。名古屋商工会議所商業部長に就任。
1927年 – 名古屋離宮にて昭和天皇と単独拝謁。
1930年 – 個人経営を廃し、株式会社鈴木バイオリン製造に組織を変える。
1932年 – 会社経営が行き詰まり、和議申請。東京滝野川の借家に移る。
1933年 – 和議認可。
1934年 – 社長の職を退き、下出義雄が社長。
1937年 – 名古屋汎太平洋平和博覧会にて政吉製作のバイオリンが金牌授賞。
1941年 – 下出社長辞任。梅雄社長就任。
1944年1月13日 – 大府町名高山にて、肺炎で死亡。死去の3日前までバイオリン製造に没頭していた。
※Wikipediaより
参考サイト 鈴木バイオリン株式会社 http://www.suzukiviolin.co.jp/about/story1.html