山形県天童市の天童佐藤敬商店 二代光匠作(佐藤稔氏) 水無瀬 駒
NHK杯での使用駒で有名な光匠作の駒でございます。駒の底部に銘は光匠と書体は水無瀬とあります、水無瀬とは藤原北家隆家流の藤原親信を祖とする堂上家、その系譜に連なる水無瀬兼成とその孫兼俊が十六世紀末頃より能筆家として特に有名で「将棋駒の銘は水無瀬家の筆をもって宝とす」との言葉も伝え残るように現在でも人気のある書体でございます。
将棋の駒に関してのお話はまた別の機会に。
将棋関係品(駒、駒箱、袋、盤等)の買取際は是非キタロウ商店へお声がけください。
#将棋駒 #光匠作

埼玉県さいたま市のお客様のご依頼を受けて出張買取いたしました。
紫砂壷 荊渓南孟臣製
紫砂壷(茶壷)は現在の中国の江蘇省宜興で作られたものが有名です。
この宜興という土地は古くは春秋戦国時代は荊渓 秦代漢代頃には陽羨と呼ばれておりましたがその後宋時代に宜興という名になったようです。
紫砂壷(茶壷)としては明時代になり現在のような形となったというのが現在の発掘調査によってわかってきております。
しかしまだまだ広大な土地故これからの調査により時代が変わってくることもございますが。
明時代初期には底に銘は入っていないものがございます、その後に銘が入るようになるようです。
オーダーをした文人が何かしらの名款を陶工がなぞり彫り込んだものもございます。またこの頃の名工には時大彬、恵孟臣という名が有名でございます。
今回のご売却依頼品につきましては 清朝~民国期頃のものと思われます。
理由としてはご依頼品は水平壷(小さい茶壷、ミニサイズ)であることからこの時代ではないかと思います。
また画像にございますように一見汚れともみえる箇所がございますが これは何百何千回と茶を入れて初めてできるものでございますので
きれいにしようと擦り取ることはその価値を落としてしまうこととなりますのでお止めください。
他のご注意願いたいことに 日本で作られた物がございまして明治期初期に金子恒という陶工が常滑に清朝より招聘されその技術が伝わり生産されてまいります。それが伝播し佐渡や備前でも作られるようになりその頃のものが宜興のものとして流通しておるものもございます。
現在でも似たような銘が入った中国や台湾から複製品が数多く市場に流通しております。
なにかと難しい紫砂壷ではございますがご売却をお考えの折はぜひキタロウ商店までご用命くださいませ。

群馬県藤岡市にて出張にて買取いたしました。
今回ご売却いただきましたのは大正期の軍帽でございます。
買取金額につきましては、海軍陸軍ともにいえることでございますが、時代(明治大正昭和)や階級、兵学校、予科練などで形が変わります。
査定基準は上記のことを含めコンディション、付属品の有無で変わってまいります。
軍帽に多少の虫喰い穴はあることが多いのですが 帽章(帽子前部のエンブレム)の状態が良い場合はそちらで評価をいたします。
状態が悪いからとあきらめて廃棄等なさることはせずに是非ご連絡ください。
弊店が責任をもって次の世代に伝えてまいります。

群馬県藤岡市にて出張にて買取いたしました。
今回ご売却いただきましたのは大正期の軍帽でございます。
買取金額につきましては、海軍陸軍ともにいえることでございますが、時代(明治大正昭和)や階級、兵学校、予科練などで形が変わります。
査定基準は上記のことを含めコンディション、付属品の有無で変わってまいります。
軍帽に多少の虫喰い穴はあることが多いのですが 帽章(帽子前部のエンブレム)の状態が良い場合はそちらで評価をいたします。
状態が悪いからとあきらめて廃棄等なさることはせずに是非ご連絡ください。
弊店が責任をもって次の世代に伝えてまいります。

土田麦僊
明治20年(1887年)~昭和11年(1936年)新潟佐渡新穂村生 本名土田金二
明治37年(1904年)竹内栖鳳に師事
明治44年(1911年)京都市立絵画専門学校卒
大正7年(1918年)村上華岳、榊原紫峰、小野竹喬らと共に国画創作協会を結成
同年発表作品 湯女図(ゆなず)彩色・絹本・屏風2曲・1双 は重要文化財指定を受け東京国立近代美術館に所蔵されております。
土田麦僊の真筆 リトグラフ等ご売却をお考えの折はキタロウ商店までご相談くださいませ。
最新の市場価格にて買取いたします。