【出張買取】神奈川県横浜市にてR Lalique(ルネ・ラリック)のSix Figurines ショットグラス他をお買取りいたしました

『Rene Lalique  Six Figurines ショットグラス』

今回のご依頼品はルネ・ラリックの1911年頃の「Six Figurine」ショットグラスでございます。
彩色の剥離はあるものの100年の時を越えてきたものとは思えないコンディションを保っております。

ルネ・ラリックは1860年フランスはシャンパーニュのマルヌ県アイ村という小さな村で生まれその後パリで暮らします。
1876年16歳でパリの装飾美術学校へ入学しルイ・オーコックに師事
1878年18歳でイギリス ロンドンのサイデナム・カレッジへ留学
この頃足げく通っていたとされるのが、1851年ロンドン万博開催時に建設されその後
1854年にロンドン南郊シデナムの丘へ移転再建された「水晶宮」でありました。
全面ガラス張りのこの建物にラリックは衝撃を受けたといいます。
2年ほどの留学を経てパリに戻ったルネは金細工師、ジュエリーデザイナー、グラフィックアーテスト活動をはじめ、
1885年にはヴァンドーム広場に自身のアトリエを構えます。
この頃あのカルティエやプシュロンへアクセサリーデザインを提供し、その顧客には女優のサラ・ベルナールの名もございました。
1897年 レジオンドヌール勲章受章
1900年 パリ万博へ宝飾品を出品し注目を集め名声をえます。
・・・
しかし順風満帆だった彼に低迷期がやってまいります。
パリ万博より数年後ファッションのトレンドが変化し始めラリックの宝飾品は時代遅れとされ始めます。
ですがラリックはそれまで宝飾品の一素材でしかなかったガラス
そのガラスを中心に添えたガラス工芸の道を模索し進んでいくのでした。
1908年 ヴァンドーム広場のアトリエのすぐお隣に居たフランソワ・コティ(あの香水で有名なコティ)の香水瓶ラベルの制作依頼を受けることになります。
ここでラリックはラベル以外にも瓶も作らせてくれるように頼みます。
これが成功し完全にガラス工芸へと進んでいくラリック。
パリ近郊のガラス工場を皮切りに、
1918年にはアルザスに工場を建設(1922年完成)当時の最先端技術で大量生産ではありますが、とても優美な製品を世に送り出します。
1925年 現代装飾美術・産業美術国際博覧会(アール・デコ博)においてパビリオン一つを与えられたラリックは幾何学文様のガラス装飾で飾られたものであったそうです。
この幾何学文様がアール・デコ期の重要な歴史的意匠の一つでございます。
この頃より香水瓶やテーブルウェアはもとよりインテリアすべてを手掛けるようになります。
豪華客船の室内装飾、オリエント急行コートダジュール号の客車内のガラスパネル、邸宅、ホテル、レストラン用のステンドグラスやシャンデリア等、噴水、自動車のボンネットマスコットなどなど多彩に制作していきます。
1932年には旧皇族朝香宮邸のステンドグラス、シャンデリアを手掛けております。(朝香宮邸は現在、東京都庭園美術館となっております)
1945年5月他界

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