【出張買取】神奈川県横浜市にて愛新覚羅溥傑書他、工芸作家作品など多数をお買取りいたしました。

『愛新覚羅溥傑 書』

横浜市のお客様よりご依頼を受け「愛新覚羅溥傑」の書をはじめ多数の工芸作家作品をご売却いただきました。
「愛新覚羅溥傑」は、あのラストエンペラーという映画にもなりました清国最後の皇帝(十二代)にして満州国皇帝(執政ののち)でありました「愛新覚羅溥儀」の実弟でございます。現在七十代の方はご存じでしょうが今の世ではそのあとの世代の方には近代史がお好きでなければご存じないのかもしれません。
さて、溥傑といえばその妻である嵯峨浩が個人的には頭に浮かびます、昔読んだ「流転の王妃」という本のせいかもしれません。
嵯峨家は明治天皇の母方と血縁関係でもある公家華族でありました。そのご成婚はあの当時の沢山人々の思惑が渦巻く中「政略結婚」の意味合いは否定できませんが、昭和十二年2月お二人はご結婚なされました。当時嵯峨家のお屋敷は杉並区にありここより結婚式場であった九段会館まで車で向かう浩を乗せた車を一目見ようと、その沿道には沢山の子供から大人までが日満の旗を振り祝ったそうでございます。私もその当時の物であろう写真を何度か見たことがございますがその写真に切り取られた風景には祝福の文字しか浮かばない光景がそこにはございました。その年にお二人は満州国へ渡られます。翌年には長女であらせられる「慧生」が誕生。昭和十五年には二女「嫮生」誕生と幸せな時は続きます。しかし日本の敗戦色濃くなる中、昭和二十年、ソ連の参戦侵攻をうけ満州国は大混乱に陥り愛新覚羅家は各地を流転していくこととなります。
このソ連の参戦侵攻の中、沢山の、、、本当に沢山の日本人の軍関係はもとより民間人の命が奪われていったのも現在の日本人は消して忘れてはいけない事実でございます。しかしながらそれが戦争というものなのです。
少し「溥傑」のことよりはなれたお話を書きすぎてしまいました。この拙文を読み少しでも愛新覚羅家および満州国や関東軍、ソ連の参戦にご興味がわきましたということであれば是非一度その時代のことを書いた本が沢山出ております、思想的に偏ったものもあるかと存じますがお読みいただくことをお勧めいたします。

さてさて、「愛新覚羅溥傑」の書について少し資料をこの場に残し筆を置きます。

画像は昭和50年代の溥傑の直筆銘と落款でございます。まるで流水がごときと称された氏の独特の作品ではございますが一部には沢山の書を仕上げねばならない場面が多かったためか書自体がが少し荒れているものや落款のずれがあるものがございます。また書体もその時代により変化いたしますし落款は他にも数種類ございます。

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