高野与八
明治40年新潟県西頚城郡能生町生まれ
戦前東京へ出て先に上京していた兄と暮らし日本画や染色工芸(友禅染め)などを修業し
戦後秋田県稲庭川連町で川連塗や川連こけしに惹かれ傾倒したその後、若い頃に学んだ友禅技術や日本画の技法をを取り入れ本格的に こけし(与八人形)の製作を始めます。
昭和55年 秋田県文化功労表彰を受章
平成6年埼玉県旧浦和市にて逝去
高野与八作の物は初期作と後期の作にはかなりの違いがあるところも興味深い面白き点でございます。
木地は同じ川連久保の高橋雄司工人が挽いたものであったようです、なお高橋雄司工人は伝統こけしもご自身でお作りになっております。
与八氏のこけしが伝統こけしであるのか創作、近代こけしであるのかと尋ねられることがございますが
与八氏のこけしはいわゆる伝統、創作こけしとは別の次元にあると思っておりますし個人的には与八氏も生前に「こけしではない」との言葉を残しておりますので与八こけしというよりも与八人形とするのが良いのかもしれないと思っております。
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