買取実績-松本楓湖(軸装)世田谷区にて出張買取致しました。

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松本楓湖(軸装)世田谷区にて出張買取致しました。

松本楓湖(軸装)世田谷区にて出張買取致しました。

松本楓湖

天保11年9月14日(1840年10月9日)
常陸国河内郡寺内村に松本宗庵の三男として生まれる。
名は敬忠。通称藤吉郎。父宗庵(漢方医)。
嘉永6年(1853年)
鳥取藩の御用絵師・沖一峨に学ぶ。
安政2年(1855年)
16歳のとき「洋峨」の号で、地元茨城県の実家近くの逢善寺本堂天井画「天人図」等を描く。
安政3年(1856年)
谷文晁の高弟 彦根藩御用絵師佐竹永海の画塾に入りし画号を永峨と改める。
文久2年(1861年)
この前後より尊皇運動に転じ水戸藩の武田耕雲斎や藤田小四郎らと交わり勤王党を援助する。
元治元年(1864年)
天狗党の乱が起きるとこれに参加、幕府軍に敗れて一時郷里で蟄居する。
慶応元年(1865年)
江戸に戻り画業に専念する。
明治元年(1868年)
画号を楓湖に改める。
明治15年(1882年)
宮内省より出版された欽定教科書『幼学綱要』において、
大庭学仙、竹本石亭、月岡芳年、五姓田芳柳らの候補の中から楓湖が選ばれ、
全7巻62図の挿絵を描き一躍名を轟かせる。
明治20年(1887年)
『婦女鑑』(全6巻)の挿絵を担当する。
明治31年(1898年)
日本美術院の創設に参加する。
明治27年(1894年)
第4回内国勧業博覧会に「蒙古襲来・碧蹄館図屏風」出品
明治40年(1907年)
第1回文展に「静女舞」出品、文展開設当初から第4回まで審査員
大正8年(1919年)
帝国美術院会員となる。
大正12年(1923年)
6月22日歿。東京谷中初音町の全生庵に葬られた。

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